「活動日記」カテゴリーアーカイブ

西都古墳まつりな週末

西都古墳まつり191012実行委員会
一昨日は、西都古墳まつり実行委員会がありました。
写真は、会議後に各班それぞれ細かいことを打ち合わせてるところ。

西都古墳まつり191013①
そして昨日は、朝から、まつり1日目の「たいまつ行列」で使う、たいまつのチェックなどの作業を行いました。
写真は、奥が丸山副実行委員長、手前が「炎の祭典」班の小川君。

西都古墳まつり191013③
明日の作業で使うチェーンソーのチェックをしてる田爪実行委員長と平田総務副班長。
チェーンソーの調子が悪く、部品のチェック。

西都古墳まつり191013②
そして私。

日曜の今日も作業。
炎の祭典などで、竹で作った灯籠(とうろう)を使うのですが、そのための竹切り作業や、のぼりや看板設置などなど。
祭りまで、あと残り少なくなってきました・・・。
もうひとふんばりだ。

崎田恭平

夜のウォーキング→孝英と。

今夜は、最近しょっちゅう一緒にいる(笑)、孝英(←現代美術家 小松孝英HP)と、ウォーキングしてきました。
お互い、夜にあった会議などを終わらせた後に集合して。

意外と家が近かった事が最近分かり、お互いの家の中間あたり(月見が丘の真ん中)で待ち合わせて、空港付近→宮交シティ→源藤交差点→国道220号を南下し、孝英宅前を通過して、月見が丘に戻ってきました。
1時間半くらい歩きました~。けっこう歩いたね。
孝英と2人、いろんな話をしながら歩いてたら、あっという間の時間でした

・・・ウォーキングしようというだけの予定だったのに、途中でバッティングセンターに行っちゃった(笑)

孝英バッティング
↑孝英。
孝英は、このバッティングセンターによく来てるとのこと。
様になってるね~。

恭平バッティング①
↑私。
3年振りのバッティングセンターでした。
楽しかった~。
200円ですっごく楽しめました。はまっちゃうかも

恭平バッティング②

孝英と一緒に仲良くしてるいつきさんも、宮崎帰ってきたら一緒に行かないかな?
もうそんなに簡単には時間作れないかな共通の友達ということで、いつきさんの話とかもしながらのウォーキングでした。

少しは、俺のお腹もひっこんだかな?(笑)
最近、デブキャラになりつつある私・・。
今月末は、綾照葉樹林マラソンにも出ることになってるし、体型を戻すためにも、健康のためにも、これから時々は孝英とウォーキングします!

崎田恭平

チームバタフライ始動☆

チームバタフライ結成①
一つ前のブログに書いています古墳まつり打ち合わせの後、チームバタフライ結成の飲み会に行ってきました。
(集まった店は、いつもいつもお世話になってる居酒屋「照」です。今晩も、隼人先輩、宮野さんアリガトウ。)

昭和54年4月から55年3月生まれの同い年で作ったのが 「チームバタフライ」。
今日は、かなり時間が遅くなりましたので、詳細はまたいつか書きます。
このグループで最初に取り組もうということになったのが 『西米良芸術祭』!

チームバタフライ結成②
画家の友達の孝英と、前からやろうやろうと話してた「チームバタフライ」が、遂に始動です。
今日は、画家、公務員、呉服屋、マスコミ、不動産関係、SE、妊婦が集まりました。
宮崎を熱くできるよう頑張ります

崎田恭平

地域の伝統をつくっていくということ。

西都古墳まつり191010①
今晩は、まず、西都古墳まつり総務会及び三役会を行いました。
(←いつも飲んでるばかりじゃない田爪実行委員長。)
田爪さんには、私の総務班長としての仕事がいつも後手後手になってしまっていて、ご迷惑とご心配をかけております

今日は、「チビッコ探検隊」の打ち合わせも行われていました。
高校生たちもスタッフとして参加しています。

先日の古墳まつり結団式で、高校生の女の子が、「大学に進んだ後は、また古墳まつりに関わりたいので、できることなら将来は西都で仕事を見つけたい」と、私に話してくれました。
オジサン(←私)は、その話を聞き、とっても嬉しかった
地域で、一生懸命まつりに取り組み、汗をかいている大人たちを、近くで見ている子供の口から、そのような言葉が聞けるというのは本当に素晴しいことだなと心から思いました。

西都古墳まつり191010②
私も少しだけですが、この祭りに関われて本当に幸せだなと思ってます。

祭りは、11月3,4日です。是非みなさん遊びに来てください!

崎田恭平

人生の分岐点

まだまだ若い私ですが、今までの人生において、分岐点は2回あったように思います。

一つ目は、高校を卒業するとき。
第一志望の大学に落ちてしまい、浪人するか、合格していた防衛大に入学するか悩んだこと。
父は、防衛大を強く勧めました。
あんなに父と激しくケンカしたのは、あのときが初めてだったように思います。
最終的には父が折れてくれ、浪人させてくれました。
父に本当に感謝しています。

(よく考えたら、浪人後にも分岐点がありました。
東京の私立大に行くか、福岡の国立大に行くか。
現役のときも私立には合格していたのですが、弟が2人いたので、両親から私立ではなく国立じゃないと行かせられないと言われていたのもあり (まあ、現役のときは自分も私立に行く気は無かったですが)、そのときは悩みませんでした。
浪人後に合格していたのは慶應で、父が、恭平がそこまで頑張ったのなら自分も頑張ると、慶應に行きたければ行ってもいいと言ってくれたので悩みました。
結局、学科が、九大がエネルギー科学科(学際系)、慶応が機械系だったことが一番の決め手となり、かなり悩みはしましたが九大を選びました。
ちなみに『学際系』と書きました「エネルギー科学科」についてですが、もちろん「エネルギー」にそんな意味はありません。「学際」の「際」は、「国際化」の「際」と同じ使い方で、学問領域の枠を超え、広く理系のいろんな分野を学び、理系のゼネラリストを育成しようという学科です。
機械系、電気系、材料系、土木系、原子物理学、流体力学・・などなど、大学で学びながら色んな分野を知った上で、あらゆる理系分野に進むことが可能な学科だったのに、今現在、全然違う職に就いてます(笑)
東京で大学生活を送っていたら、また違った人生になってたかな?)

二つ目は、理系の大学院に進み、技術者か研究者として生きていくか、事務屋として行政マンとして生きていくか悩んだこと。
昔のブログ6/28「もっともっと走らなきゃ」7/11「今、思うこと」にもチラッとそのときのことを書いてます。
学生時代に、児童養護施設にボランティアに通った経験から、今の道を選ぼうと思うようになりました。
当時、実験や研究に追われながら理系人として6,7年なんとかやってきて、しかも浪人までして入った大学。
エンジニアとしての就職先は選べるくらいたくさん選択肢がある中で、付け焼刃の法律や経済の勉強で、法学部や経済学部の連中と戦うということには、非常に不安とリスクがありました。

今日は、なんでこんなことを書いたかというと、ある方からある話をしていただき、いろいろ考えさせられたからです。
今、私が考えている分野ではなく、違う分野に興味を持って突き進んではどうかとのこと。(←かなりアバウトに書いてますが)
その方からいただいた言葉は全くその通りで、私の考えの甘さも含め、いろんな指摘をもらいました。

私が出した結論は、今は、目の前にあることについてしっかりと取り組み、一つ一つ積み上げていくということ。

特に、二つ目の分岐点の時がそうだったのですが、受け持っていただいた教授からも反対され、研究室の先輩方や同級生からも「あいつは大丈夫なんか?」という目で見られ、自分で自分を客観的に考えてみても危ない橋だとは分かってはいたのですが、不思議と迷いはありませんでした。
なんとかやれるという根拠のない自信が自分を突き動かしてくれました。
「今、この道だ」と思えたのです。
(思い込みが激しく、意外と頑固な私です。)

・・・なにが言いたいんだって感じですが、自分でもこれ以上どうまとめていいのやら(笑)。(分かる人には分かるかも)
ブログは、人を傷つけたりしない限りは、自己満足でかまわない場と思ってますので、お許しを。今日はこの辺で。
眠くなってきました。オヤスミナサイ。

崎田恭平