道は違えど。

仕事と忘年会で、睡眠不足の年末です。

「小松孝英」忘年会H19①
28日は、画家の小松孝英くん(以下、孝英)主催の忘年会でした。
彼は、神戸や福岡などでも個展を何度もやっていて、今年はニューヨークのチェルシー地区でも個展を行いました。
私と同い年の彼は、この若さで絵だけで食べれてます。
そのことだけとってみても凄い男です。

(今回の忘年会会場は、いつもいつもお世話になっている「居酒屋『照』」貸し切りで行いました。隼人先輩、宮野さん、ありがとうございました。)

「小松孝英」忘年会H19②(←写真中央ちょこっと左側の赤い服を着ているのが孝英。同じく中央で、孝英の右隣に写ってるのが私。)

孝英の凄いところの一つは、たくさん人を惹きつけるだけの、人としての魅力を持っているところです。
忘年会に来られていた方の職業をいくつか挙げてみても、デザイナー、不動産会社、イラストレーター、額縁職人、映画監督、呉服屋、マスコミ、小学校の先生、製薬会社、作業療法士、デパート店員・・・などなど、幅広すぎです(笑)。

孝英と初めて出会ったのは2年前の冬の終わり。確か、2月頃かな。
孝英の福岡での個展打ち上げパーティーが、宮崎市内にある「グリーンルーム」で行われたときです。
今は横浜にいて、当時「みやざきみらいフォーラム」を一緒にやってた同い年の平原くんから、「小松君という、おもしろい奴がいるよ」と、そのパーティーに誘われて行ってみたのがきっかけです。
平原くん曰く、「小松君の会に来る人たちは、カメラマンやデザイナーなど、みんなアーティストばかり。俺らと同年代で、自分の能力だけを武器に頑張っている人たちと話してみると刺激になるよ。」とのこと。
当時の私は、みらいフォーラムに行き始めたばかりの頃、もちろん代表をする前の頃で、「まつりえれこっちゃみやざき」を本格的に始める前でもあり、異業種の皆さんと今ほどお付き合いしてない頃だったので、店まで歩きながら「そんな人達と馴染めるはずもないので、やっぱり帰ろうかな・・」とか思いつつも、びくびくしてグリーンルームの扉を一人で開けたのを今でもはっきり覚えています(笑)。

今でこそ、孝英の会は色んな業種の人たちがいますが、当時の出席者は、9割方アーティスト。
その日のパーティーで、そっち関係じゃない人は、平原君と、参議院議員になるずっと前の外山斎さん、その頃はまだ「彼女」で保母さんだった今の奥さんの千草さんだけ。(斎さん、千草さんとも、その日が初めての出会いでした。)
平原君が紹介するデザイン関係やWEB関係などなどの皆さまと名刺交換したのですが、「なんで公務員が来てるの?」という心の声が聞こえてきそうな空気を感じて(私が思い込んで勝手にそう感じてただけかもしれませんが(汗))、結構、いやかなりその場は苦しかったです(苦笑)。
そんな私の空気を感じてか、斎さんが色々話しかけてくれ、政治家を志す方と県庁マンということで、アーティストばかりのその場においては、遥かに近い世界にいる斎さんと千草さんと後半はずっと話してました。

孝英とも少し話したのですが、「俺はいつか必ず世界的なアーティストになる男だから」と軽く言ってのける。
う~ん、こんな奴がいるのかと、平原君の言うとおり、かなりカルチャーショックを受けました。
でも、絵を見て、素人なので専門的なことは全然分からないけど、圧倒的な存在感を感じさせられた。
素直に口だけじゃないなと思いました。

パーティーがお開きになるときに、出口で一人一人出席者を見送ってた孝英から「何ヶ月かおきに大きいパーティーをやってるから、直接は連絡できないけど、まあ情報が入れば、また来てもいいよ。」とのこと。
かなり上からの発言ですが(笑)、孝英にしてみれば、広いグリーンルームを貸し切っても座りきれないくらいの人が来るパーティーで、しかも、一人一人に招待状を送ってるとかじゃなく、孝英に近い友達数人に声をかけるだけで広がってそれだけの人がいつも集まってて、細かく把握していくのは無理だということでした。
帰り際、斎さんから、「次あるときは、僕が声をかけるよ」と言ってくれ、その日は、斎さんとだけ携帯番号を交換して帰りました。(孝英は、交換してくれなかった(笑)。)

最初に紹介してくれた平原君は、それからすぐに横浜に就職することになり、宮崎を離れました。
なので、もう声がかかることは無いかもなと思ってましたが、数ヶ月して、斎さんからの連絡で、カメラマンの酒生さんの個展打ち上げパーティーに行き、それからもそのような飲み会に何度か行くうちに、次第に孝英や酒生兄貴、斎さんたちと仲良くなっていきました。

最初の頃は、いつも孝英から、「俺たちの税金で食ってる県庁マン」と言われてましたねー。(いや、今でもか(笑)。)

孝英や酒生兄貴と話してると、自分の夢に向かって、将来なりたい自分をしっかりイメージして頑張ってるのが感じられて、ものすごく刺激を受けます。
(それは、進む道は違いますが、斎さんもそうです。)
特に最初のほうは、決して居心地のいい場所では無かったですが(笑)、それでもその場に足が向かってたのは、自分のように組織の中で仕事をしている人間からすると対極ともいえる場所で、自分一人だけの力を信じて、夢を追ってる同世代が近くにいることに刺激を受けたし、俺もぜってぇ負けてられないと思わせてくれたからだと思います。(←超、負けず嫌い(笑))
その場に行くことで、自分は何がしたくて今県庁にいるのかなど、初心を再確認することができました。

また、孝英の会に行く中で、全く違う職業、違う価値観の人たちと、お付き合いする事の面白さも感じるようになってました。
普通に県庁だけの人間関係だけでは付き合うことも無かっただろうと思われる人たちから、「公務員」や「県庁」というものが、本音の部分でどんな風に見えてるのかということを感じれて新鮮でした。
そして、厳しい意見も含め、みんなが行政に対して思ってることを言ってくるのに対し、私は私になりに、行政はこういう思いで仕事をしているんだという事を一生懸命話すと、それなりに分かってくれ、実際に直接顔を合わせてお付き合いすることの大切さを実感することができました。

今となっては、孝英とは毎日ように会ってますね。
最初は直接私に連絡する気もなかった孝英ですが(←根に持ってる(笑))、今回の忘年会も、お互いが空いている日から日程設定してくれました。

道は違えど、よきライバルだし、よき理解者です。
孝英に負けないくらい世界的な・・・いやいや(笑)、いつの日か、宮崎に「崎田恭平」ありというくらいの仕事ができるよう頑張ります。
私は私の道で、この宮崎というフィールドで、しっかり地に足をつけて、一つ一つ積み上げていきたいと思います。

アトリエ忘年会
昨夜(29日の夜)は、孝英とアメリカ人のジェームスのアトリエ「Monarchs(モナーク)」で、酒生兄貴たちなど少人数で、ミニ忘年会をしました。
鴨鍋おいしかった.。゚+.(・∀・)゚+.゚
(写真は、食事後、ジェームスに教えてもらったアメリカでポピュラーなトランプゲームをしているところ。)

28日の忘年会二次会で、来年開催予定の「西米良芸術祭(仮)」を孝英と一緒に主催されるデザイナーの方から、この芸術祭にかける熱い思いを伺うことができました。
(私のブログを読んでいただいているということで、大変光栄であります。.。゚+.(・∀・)゚+.゚ 既に第一線で活躍されているデザイナーの方です!)

私も「西米良芸術祭」の手伝いをさせてもらう予定です。
来年は、西米良が熱くなりますよ!!゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆

崎田恭平

「道は違えど。」への2件のフィードバック

  1. おつかれ!
    今帰ってきた★到着!!
    今日はありがとうね^^
    いろいろな話を聞かせてもらって、勉強になりました。
    君は一高の星だ!!
    がんばれええええw
    てか、みんな無事に帰ったかな・・・?
    私も子育てと仕事に奮闘しながら、君を応援していくさ!!!!
    がんばれよおおおおおw
    ということで、またコメントさせていただきます。
    では・・・おやすみ!

  2. コメントありがと
    こないだは楽しかったよ!
    人妻かつ母親の目で、俺のこれからについて、しっかり突っ込んで、また意見ちょうだいね。こないだみたいに(笑)。
    また、コメント書いてね~☆

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